私の話

日々漠然とした不安と焦燥感、周りの目、自分の現状、選択、漠然とした将来のこと。

毎日毎日何かしらの不安や焦りに追われて、生きてきます。日々無駄に過ごしてしまっているような気がして、でも何もできない自分もいて。なにかのきっかけになればと思いブログを始めてみました。

今日は私の話を少しだけしてみようかと思います。

私は昨年の6月「うつ病」と診断されました。あと不安障害です。

なんとなく、最近なったことでもなくずーと前から側にいたものだと分かっていました。

ただ、心療内科へ行ったことで病名を与えられただけで。ずっと、そうだったのだと思います。うつ病と検索すると、色々な項目や症状が出てきますが全てに当てはまっていました。社会人になってたくさんの仕事もしてきましたが、要領やどうしたら上からよく見えるのかは分かっていたのでどの職業も短時間で上の方へ行けました。ただ、どうしても訪れる倦怠感、体調不良で当欠も多く、いつもいつも劣等感や情けなさを感じていました。常に他の人と自分を比べて、みっともない、オトナなのにこんな事すらできないのかと。会社の人からも一番言われた言葉は「体調管理だけ出来てれば」私もずっとずっと思ってたよ。

あまりにも頭痛を始めとする吐き気や発熱等、体調不良ばかりなので専門科へ行きましたが根本的には改善されず、いつもどっかしら調子が悪いような状態で職場にも迷惑をかけていたので、いよいよ別視点からということでメンタル系のお医者様に頼ったのがきっかけです。

また、私は「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)」なのだと思います。

元々の性格も多いにありますが、きっかけは中学生の時。

よく覚えています。

私は体格がよかったので、デブだのブスだのまあよくある中学生女子の集団いじめをされていました。息をする、席を立つ、歩く、トイレへいく、戻る、着席する、教科書を開く、給食を運ぶ、食べる、すべての行動に聞こえるように子供らしい悪口を言われ続けていました。全ての行動言動に過敏になる毎日をひとりで抱えて過ごしていました。

でも、ずっと一人で我慢していましたが、いよいよ苦しくなり母に言いました。

「今日は学校に行きたくない。」

いじめられていて辛いんだと、続けようとした私の言葉を母は最後まで聞くこともなく、

「ふざけんじゃないよ忙しい朝に鬱陶しい休ませるわけないだろさっさと行け!」

ああ、無駄なんだ。聞いてくれないんだ。話しかけたって、嫌な思いするだけ。母親だからって助けてくれるわけないんだ。と、もうそこで諦めてしまいました。我慢するしかないと。なぜか父親に相談するという頭はなかったのは、今になって不思議ですがまぁ、父は朝早く出社してしまいますし、あんまり相談相手には上がらないものなのかもですね。

そこからはもう、「相談」するのは無駄なことなんだと、決まってしまいました。

だから我慢する、自分だけで解決する、が日常的になりました。苦しくとも、辛かろうとも、そうなる自分が悪いんだと。誰も助けちゃくれないんだから、自分でどうにかするしかないんだと。そのマインドと合わせて、体型も相まって常に人の目が気になっていました。自分はどう見られているんだろう、迷惑になってないだろうか、劣って見られてないだろうか、人から笑われるような事になってないだろうか。知らない人と目が合う度、なぜ今私と目があったんだろう、気になるような事があったんだろうか。デブだからかな。ブスだからかな。会社でもなんで今挨拶がなかったんだろう、なんで今こんなに空気がおかしいんだろう。

完全に中学時代のいじめのトラウマが残ってるようで、被害妄想になってるんですよね。

だから自分がやられて嫌なことは人にしたくないし、他人から見て悪い意味で記憶に残るような行動も軌跡も残したくないのです。人の記憶に残ることがある意味恐怖なのかもしれません。あああのデブだろ?と、言われそうだと。ので、ファミレスに行っても案内してくれる店員さん、注文取りに来てくれる店員さん、料理を運んでくれる店員さん、お皿を下げてくれる店員さん、会計をしてくれる店員さん、すべてに笑顔で感謝、そしてお礼を言います。テーブルはきれいにふいて、お皿も下げやすいように重ねて、ゴミも極力出さないようにします。なぜなら嫌なやつだと記憶に残りたくないからです。それに、されて気持ちのいいことは簡単にできることならしたいからです。普通じゃない見た目だから普通からはみ出したくないのです。普通じゃないのはいやだと。何が普通なのかもわからないくせに。

自分が普通じゃないから、嫌な思いをしたんだとその情報だけずっと残ってしまいました。そして会話していても言葉一つ一つに深く考え込んでこんでしまう所もあります。あれはどういう意味だったんだろう、比喩だったんだろうか、私だったらそう思っちゃうからああは言わない……などなど、あれやこれや言葉に敏感に意味を考えてしまいます。人よりもずっと考えて勝手に傷ついたり勝手に落ち込んだりしてしまいます。相手が投げた以上の意味を自分で勝手に付加してしまう癖があるのです。

ので、とても言葉を選んでしまうし、行動にも気をつけているつもりです。

うつ病の診断を受け、好きだった会社を退職する運びとなり、お医者さんとの話などをひっくるめて私の話を母とする機会がありました。母はいい意味で私とは逆の性格のようで、「そんなこと思ってもなかった」「考えてもなかった」「というか、そうなったのってって私のせいってこと?」と、なんの気もなく投げてきました。本人も自分の娘に精神系の病名がついたことで気にしたのでしょう。

が、正直「ああ、いわなきゃよかった。」と思ってしまいました。

貴女のせいですなんて思ってないのに。人にはそれぞれ性格や考え方があって、私はただ人より少しめんどくさいだけだと、自分で決着がついてるのに。

誰かを、母を責めたいわけじゃないのに。あの時もう少し聞いてくれたら嬉しかっただけ。でもそれももう昔の話。どう考え、どう感じるかは私自身の決めること。私が深く考えてしまうような弱いやつだったから、こうなっただけで、誰のせいでもない。誰かのせいならそれは自分が弱いせいですってだけ。でも、「私のせいってこと?」と、言われたときは苦しかった。

すごく苦しくて、「お前のせいで私はこうなったんだと責めたいわけ?」と聞こえてしまって、必死でもう気にしてないんだけどねと泣かないよう泣かないよう、笑顔で言いました。

もし読み違いをされてしまったら嫌なので記しますが、私は母が大好きです。とても尊敬していて、目標で、指針になっています。母の後ろの線路をなぞるように生きたかった。心の底から尊敬しています。若くして私を妊娠し、母となり、朝から晩まで働き今現在だって誰よりも仕事をして家のこともして、全てをこなしています。とても私には出来ませんでした。そうなりたかったのに。そう、ならねばならないと思っています。それがせめてもだと。

でも、今の私はどうでしょう。母と比べ全くと言っていいほどに私は劣っています。全てが劣っています。そう思っているし、それが真実だと思っています。母の方が大変で、歳もとっていて、やることも沢山あるのに、休みもしないで働いて、なんてすごい人なんだと。それに比べてこの私は。この現状は。なんてみっともない。恥ずかしい。悲しい。申し訳ない。

そんな気持ちにならざるを得ないのです。

精神科医さんいわく「母の呪い」と呼ぶそうです。比べてしまい落ち込む症状の事ですかね。「貴女は貴女なのだから、だれかと比べる必要はないんだよ。まずはその呪をとかなければ」と、開口一番に言われました。呪い。なんとまぁ言い得て妙に納得感のある響きですね。

まぁ、そんな感じで私はひとよりめんどくさくさくて、勝手に他人と自分を比べて、落ち込みやすいんでしょう。自覚してるので誰かにその考えや胸の内を語ることはありません。鬱陶しいし。それに、言ったことで聞いた人に気を使わせるのは本意ではないのです。自己価値を感じたり自己肯定感と言うものが私は全然ありません。私なんて、私なんぞ、が口癖で、褒められることに慣れてません。まぁ、褒められなれてるってどないな人なの?とは思っちゃいますが。

世間ではHSP=繊細さんといういい方で流行りだしていますね。繊細さん、優しい表現ですよね。

私の性格・考え方のルーツは置いといて、通院はずっとしていますがうつ病は「はい!完治!」とすぐなるようなものでもなく、この感じなのでまぁいつも「とりあえずさ、お日様にあたって療養をしようよ。」と言われるのですが「休む」って難しい。

・いい歳して仕事してない自分はゴミ、恥ずかしい人間だ

・いつ治るかも分からないし、治し方もわからない自分はゴミだしみっともない人間だ

・お金もないのに休めって、今の心配将来の心配、心配不安がおおすぎる

夜は死にたくなるし、漠然とした不安が襲ってくるし、色々考えすぎて不眠症まっしぐら。

人前にでると変な汗が尋常じゃないほど出て髪の毛がびしょびしょになり、動悸もする。

汗=デブの法則が自分であるのでひと目が気になりすぎて具合も悪くなる。

生きるって大変だ。生きづらい人間に、自分でなってしまった。

そんな毎日です。

次は「休む」って難しいの話と、今の活動のきっかけや今の心境などの話でも。

こんなくらいじめじめした文章続いても読んでくれるかもしれない人が疲れちゃう。もっと楽しい、くだらない事がかけるようになりたいな。そして、なにか元気になれるきっかけもできたらいいな。

ってことで、私の話でした。

maki's Ownd

心の声の落とし場。 よければまずは1番最初の記事を見てくださいな。

3コメント

  • 1000 / 1000

  • 小川大樹

    2023.04.15 15:28

    僕も鬱ですが、人より感じやすい人はいると思います。とても優しい方だなと感じました。 また、僕は話は楽しいことばかりじゃなくていいと思います。 こういう話は共感できたり相手の魂がそのまま見れるので僕は好きです。 僕も相手と比べたり、してしまうことはありますが、僕が思ってるほど他人は完璧じゃなくて、抜けてるところもあって、完璧じゃないから傷ついたりしてしまって。 makiさんの頭の中で自分を責めてしまい、相手の存在が大きくなりすぎるのかなと感じました。 そんなに自分を虐めないで欲しいです。 そのままで僕は好きです。 僕は精神病を抱えていて、中々理解されることがないなと感じるので、makiさんのような人がカウンセラー目指してくれるだけで嬉しいです。 今まで話しやすかったカウンセラーは皆同じような苦労をされていたし、ご自身でも書いてるように、完治がないと僕も感じます。 なので、私ができてないのにとかあまり考えないで、makiさんのように苦しんだ人にこそ僕はなって欲しいと感じます。 こんなこと話せる機会はなかなか最近無いので、一人じゃないととても暖かくなりました。
  • もっと好きになりました。
  • ☆とも☆

    2021.02.21 12:57

    昨年うつ病と診断されたのですね。ただ不眠症などの症状はその前から感じていたようで、幼少期から思春期にかけて心に傷を受けながら成長して、その後も他人には理解してもらえない辛い思いをされてきたと認識しました。お母様の存在というのも大きかったようですね。。。 私がうつ病と診断さて14年くらいたっていて入院も経験しましたが、今は薬は服用せずに通常の生活ができている状況です。ただ、気圧や気温の変化や仕事を含めた対人関係で、今でも「あ!ヤバい」って感じることがあるので、この病気とは一生付き合うことをある程度覚悟している感じです。。。 makiさんのブログを拝見して、自分自身の幼少期から思春期、その後を改めて思い返すことができ、今の自分がどのようにして出来上がったのかを少し知ることで、今後について考えることができて良かったと思っています。 繊細さんについては、すでにご存じかもしれませんが、以前「世界一受けたい授業」というTV番組にで「武田友紀」さんという方が話をしていたのを思い出しました。私は該当しないようなのですが・・・今後この方の本を読んでみようかと思いました。 私は定年退職の時期がちかづいていることもあるので、今回のようなmakiさんのご経験をかいていただけたことで、自分を見つめなおしたり自分探しができそうです。なので疲れるようなことはありませんでした。それどころか考えるきっかけを与えてもらえて感謝です。 次回も楽しみにしていますが、makiさんのペースで、気が向いたときに書いていただければ幸いです。 今後ともよろしくお願いいたします。