歳も性別も国籍も関係なく、困っている人を助けてあげられる事が出来た時、いつも霧がかって暗中にいるような気持ちに少し綺麗な日が差すような感覚を覚える。

明らかに困ってる人だったら自分から声をかけるし、あと何故か自分は声をかけやすい顔をしているのか、それこそ歳も性別も国籍も関係なく(駅内とかだと特に)お困りの人から声がかかる。

自分が出来ることはしてあげるし、助けてあげたい気持ちもある。その先の安堵の笑顔とか、ありがとうの一言とか、見て聞いて、こちらも嬉しくなるから。


でも、私は全くいい人じゃない。
こんな綺麗事言ってみたって、人を選ぶ。
どうみたって自業自得だろって態度の人とか、どこか何かの線引きをして、うーん。あの人はなんかいいかな。って避ける事がある。勝手な主観で。

義務もなければ、お節介でしかない時もある。でも、それを超えた優しさを持ってる人もいる。でも、自分のこの行動は、ただ「ありがとう」って言われたいがための、エゴなんじゃ。求められてない親切なんか全部エゴでしょ、って考え方もあるけど、そんな風には思わない。でも、自分の事となると、違う気がする。

なんか、見返りを求める意地汚い人間である事を再確認してしまって、落ち込む。

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